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第24回 忍びに定まる形なし
三重大学人文学部 教授 山田 雄司
忍びの職務は、型にはまっていては対応できず、いつ何時何が起こっても対応できるような柔軟性が必要であった。忍びの仕事は危険と隣り合わせで、どのような事態に遭遇するか予想ができない。そうしたときに、自らの頭で考えて適切な対応をとることができなければ、生存することは叶わない。
『用間加條伝目口義』第三「風ニ乗ルノ伝」には、このことについて以下のように記されている。
風ニ形ナシ、忍ニ定ル形ナシ、何ニナリトモ其時ノ宜ニ随フテ形ヲカヘテ入ヘシ、
(中略)
秘伝曰、風ノ形ヲ見トメルコトナシ、忍ノ術モ見トメナレヌヤウニ変化スヘシ、
風に形がないのと同じように、忍びには定まった形がないという。時と場合に応じて形を変えて忍び込むことが必要だとしている。また、風の形を認識できないのと同じように、忍びの術も認識できないように変化しなければいけないと述べている。
さらに、極意天之巻「木之葉隠之大事」でも次のように記されている。
木ノ葉ハ千本ハ千色ニテ、ミナ違フテ一様ナラス、其如ク千変万化シテ、忍ヒ入ル方ノモヨウニ随フテ変化シテ、忍ヒ入ヲレル者ニナリテ忍ヒイル也、松ニハ松相応ノ葉、柳ハ柳相応ノ古今カワリナキ葉アリ、其コトク敵ニ応シテ所作ヲナスカ大事ナリ、
木の葉が千本あれば千通りの色があり、ひとつとして同じものはない。このように、時と場合に応じて忍び入る場合には千変万化して忍び込む必要がある。松には松にふさわしい葉があり、柳には柳にふさわしい葉があるように、敵に応じて自分自身変幻自在に身を変え手段を変えて忍び込むことが大事だとする。忍びに出かけるときと帰るときで姿を変えたりすることもあった。
このように、忍びにとっては型にはまらず臨機応変の対応をとることが求められていたことがわかるが、それは武士道でも見られる。宮本武蔵『五輪書』「地の巻」では、この兵法書を地水火風空の五巻に仕立てた理由として以下のように記している。
第二水の巻、水を本として心を水になす也。水は方円の器に随ひ、一滴となり、蒼海となる。水に碧潭の色あり。清き所を用ひて一流の事を此巻に書顕すもの也。
そして「水の巻」では以下のように記している。
兵法二天一流の心、水を本として利方の法を行ふによつて水之巻として、一流の太刀筋此書に書顕すもの也。
宮本武蔵は『五輪書』のなかで、武士たる者、兵法を学ばないことがあってはならないものの、兵法の道を確かに弁えている武士がいないと嘆いている。そして、水に習うことを説いている。水を手本として、心を水になすことが大事だという。水は、器が四角ならば四角に、円ならば円にかわる。水はわずか一滴となることもあれば、広大な蒼海にもなるのであり、兵法二天一流の心は、水を手本として利方の法を実践するのであると説いている。つまり、水に形がないのと同じように、戦い方は固定化していてはならず、時と場合に応じた対応をとることが重要だとしている。
忍びは七方出などで僧侶や芸能民などに扮し、その土地の言葉や風俗も身につけて情報を収集した。そこでは定型的な対応ばかりしていては、到底任務を遂行させることはできない。七方出はまさに七変化の術であったのである。