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第26回 第10回伊賀流手裏剣打選手権大会
三重大学人文学部 教授 山田 雄司
2019年3月14日、伊賀流忍者博物館において第10回伊賀流手裏剣打選手権大会本戦が開催された。本大会には、タイ予選をはじめ各地の予選を勝ち抜いた手裏剣の達人たちが集まり、ハイレベルの戦いが繰り広げられた。結果は17歳の弥圓佐助さんが的中170点、評価38点の計208点を叩きだして見事優勝し、最後の純金製手裏剣を手にした。佐助さんは昨年は三位で、三位決定戦の際に手裏剣をすべて的にそろえて観衆を驚かせたが、それから1年間、毎日100本は打ち続け、この日に臨んだという。優勝が確実視されている中、そのプレッシャーにも負けず、落ち着いて手裏剣を的に打ち込む姿は風格さえ感じさせた。
私たち三重大学忍者部の部員は、京都予選・伊賀予選に出場したものの、あえなく予選敗退し、そのうち3人でチームを組んで、本戦前日に開催された団体戦に参戦した。私は昨年の大会を目にし、これはおもしろいと思い、6月に三重大学人文学部敷地内に手裏剣練習場を設置し、伊賀忍者特殊軍団阿修羅の頭浮田半蔵さんに的を作ってもらい、授業が終わってから、そして夏休みも時間があれば日々練習を重ねた。私は少年野球をしていたので、ボールコントロールにはそれなりの自信はあったが、手裏剣打ちはまったく勝手が違った。はじめは手裏剣を離すタイミングがつかめずに足元に落としてしまうことがたびたびで、その姿はマツコ・デラックスの「月曜から夜ふかし」でも放送されて笑われたが、半年ほど経つと2回に1回は的にいくようになっていた。これはもしかするとうまくいくかもしれないと思い、予選に参加した。しかし、結果は…。
そして、今度こそ団体戦ではと決意を新たにし、当日に臨んだ。私は三重大学忍者部の大将として、いつも以上に大きな声で九字を切り、弱い力で手裏剣がポトリと落ちてしまうのだけは避けようと、力を込めて手裏剣を打った。1回目、的は外れたが、手裏剣の刺さり方は悪くない。このまま集中していこうと思い、2回目以降を打った。その際、指がチクッとした感覚があり、見ると親指から少し血が出ていたが、まあ大丈夫だろうと思い5回打ち、結局1つも的にいかなかったものの、板にはしっかり刺さったのでよかったと思い、的と審査員に礼をして席に戻ろうとした。そのとき誰かの「手」という声がしたので見てみると、けっこう血が流れていた。事務所に連れていってもらって手当てをしていただき、おかげさまで血はすぐに止まった。当日の手裏剣は新品で刃が鋭くなっていたのと、力を入れて握ったからか、親指を切ってしまったのだと思う。これまでの大会で血を流した人間は、おそらく私だけなのではないだろうか。手裏剣と的の板にも血を付けてしまい、ご迷惑をかけてしまった。
後になって、「太陽にほえろ!」の松田優作風に、「なんじゃこりゃ」とやっておけば、禍を笑いに転換できたのにと気づいたが、後の祭りである。忍びの教えには、いつどのようなことが起こっても、冷静に機転を利かせて臨機応変の対応をとらなければいけない旨記されているが、私はそうした時に柔軟な対応をとることができなかった。これまた常日頃忍術研究を行っている身として失格である。
団体戦自体は熱戦が繰り広げられ、最終的には佐賀県嬉野市の忍者施設・肥前夢街道に拠点を置く九忍会が劇的勝利を収めるという大変盛りあがった大会となった。今回で伊賀上野観光協会が主催する伊賀流手裏剣打選手権大会は最後ということだが、年1回全国から忍者愛好者が集まり、皆が楽しみにしている大会であることから、「忍者の聖地・伊賀」として、ぜひ来年以降もかたちをかえて続けていってもらえたらと切に思う。