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巻の四十一 九字護身法
三重大学人文学部准教授(三重大学国際忍者研究センター担当教員)高尾善希
九字護身法
海外事情に詳しいひとに言わせると、毎朝のテレビ番組で、その日の星座占いを堂々とやる国は、日本くらいなのだ、といいます。その虚実はさておき、日本人の占い好きは特筆に値するそうで、疑似科学的としての血液型性格判断の類までを含めると、むかしの公家の吉凶占いを笑えないほどかもしれません。喫茶店の雑談でさえ、占いの話題はよく出てきますし、占いの本も出版部数を重ねています。
最近、吉野ケ里遺跡で、卑弥呼の時代の墓が発掘された、というニュースがありました。墓の蓋にはバツ印が無数に刻んであって、これも、その時代のまじないの一種でしょう。私はその方面の専門ではありませんけれども、大方はそういう意見で一致することでしょう。
三重大学が研究している海女も、格子状のマークを魔除けにしていますし、小学校に通う子どもたちがやる「エンガチョ」も、指を交差させるしぐさをします。これらを考えると、交差すること自体に、魔除けやら縁起担ぎやらのまじないの意味があるのではないでしょうか。……あまり書きすぎると、その方面の専門家からお叱りをうけるかもしれませんが。
私が三重大学国際忍者研究センターに就職したとき、例の九字護身法、「臨兵闘者皆陣烈在前」(りん・ぴょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん)の印結びの指のしぐさを、なんとか覚えました。講座のお客さんが喜ぶからです。しかし、指で印を結ばなくとも、単に、二本指を立てて十字型に空を切れば、それも魔除けにはなります。これも、交差するまじないの一種でしょう。
臆病なひと
この九字護身法は、六つの神さまや仏さまが、その身におりてきて、身を護ってくださる、ということだと思います。日本の場合は、神仏習合なので、神さまでも仏さまでも結構です。
しかし、この九字護身法は、一般的に、忍者の所作であるというイメージがあるかもしれませんけれども、忍者だけではなく、武士や庶民もやっていたまじないです。身に降りかかった天災・人災問わぬさまざまな大災難を、このまじないによって必死に凌(しの)ごう、ということだと思います。
とりわけ、忍者を含む武士ら戦闘員は、戦場に出ていきます。その先にどのような危険が待っているか、わかりません。もしかしたら、大怪我をするかもしれないし、命さえ落とすかもしれません。そのため、軍学書には、いろいろな験(げん)かつぎが記されています。あの織田信長さえ、桶狭間の戦いの前は、熱田神宮で戦勝祈願をしています。武士が九字護身法をするということは、武士もある程度は臆病者であったと考えなければなりません。
臆病がもたらしたもの
私が市民講座などで、「忍者が九字護身法をするのは、忍者が臆病者だからだ」と説くと、お客さんはお笑いになります。しかし、忍者も命も惜しいし怪我もしたくはありません。
嘉永6年(1853)にマシュー・カルブレイス・ペリーの黒船艦隊が浦賀にやってきたとき、当時の日本人たちは、大きな蒸気船に肝をつぶしました。これでは、まともに戦うことはできないと観念したわけです。
それからというもの、日本人は「尊王(皇)攘夷」、天皇を尊び夷(外国)を攘う、というスローガンのもと、無鉄砲にヨーロッパの船を攻撃したりなどしましたけれども、全体的には、ヨーロッパの学問を身につけてから計画的に攘夷をしよう、と考えました。あの吉田松陰ですら、アメリカ留学を企てたのです。その尊王攘夷が富国強兵へと変化したのは、当然のことでした。
つまり、武士はむやみに命を捨てて戦おうとはしませんでした。そういう聡明さをもっていたのです。「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という戦陣訓とは逆です。
九字護身法をして身を守ろうとした武士は、臆病ともいえますが、命を大切にするという理性もそこにはあった、と評価できるでしょう(むろん、まじない自体は非科学的産物ではありますけれども)。その態度が、明治時代、士族を富国強兵へと方針転換させたのです。