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伊賀上野のランドマーク 伊賀上野城にのぼってみよう!
伊賀上野に来たら、一度はのぼってみたいスポット「伊賀上野城」。伊賀上野のランドマークとして、市民からも親しまれている名勝です。毎年、9月から11月にかけて「お城まつり」が開催され、中でも「薪能」は多くの人が訪れる一大イベントです。
今回は、伊賀上野城の歴史や見どころを中心に紹介! まだ、伊賀上野城にのぼったことがないという方はもちろん、のぼったことがある方もチェックしてみて!
「白鳳城」の雅名をもつ端麗な城「伊賀上野城」
現在の天守閣は、当地選出の代議士、川崎克氏が私財を投じて藤堂氏の天守台に復興・再建したもので、昭和10年に竣工しました。天守閣は、木造三層の大天守と二層の小天守からなる複合式天守で、白亜塗り込めの純日本建築様式をとり、別名「白鳳城」とも呼ばれています。
城跡は昭和42年に国の史跡名勝記念物に、天守は昭和60年に伊賀市有形文化財に指定されました。
筒井定正・藤堂高虎の城
近世城郭として上野城を築いたのは、豊臣秀吉により、大和郡山から移封※された筒井定次。その後、家康の信任が厚く築城の名手として知られた藤堂高虎が、伊賀・伊勢に移封され、慶長16年(1611)から上野城の大修築を行いました。
高虎が建設中だった五層の天守閣は、慶長17年(1612)、当地を襲った大暴風で倒壊してしまいましたが、外郭には、10棟の櫓(やぐら)と巨大な渡櫓をのせた東西の両大手門や御殿が建設されました。後の大坂冬の陣、夏の陣と家康が勝利を収め、天守閣が再建されることはありませんでしたが、一国一城制では、上野城は伊賀の国の城と認められ、明治まで城代を置いて存続しました。
※移封(いほう)・・・大名等を他の領地に移すこと。
見どころ満載の伊賀上野城
高石垣
藤堂高虎が本丸の西に築いた石垣。高さ約30メートルの高石垣は、日本有数の高さを誇ります。黒沢明監督の映画「影武者」のロケ地にも使われました。
天井絵巻
最上階の格天井には、46枚の書画の色紙(1メートル四方)がはめ込まれています。色紙は、天守閣竣成を祝って、日本画家の横山大観はじめ著名な画家、書家、政治家などから寄贈されたものです。
唐冠形兜(とうかんなりかぶと)三重県指定文化財
藤堂高虎が豊臣秀吉から拝領した兜で、高虎から藤堂玄蕃良重(げんばよししげ)に与えられました。良重は大坂夏の陣で討ち死にしましたが、この兜は代々玄蕃家に受け継がれ、伊賀市に寄贈されたものです。天守閣内に展示されています。
伊賀上野城のマスコットキャラクター「た伊賀―くん」
頭に伊賀上野城を乗せ、高虎が城造りの名手であることを表現。身長が189cm!?もあったといわれる高虎にちなみ長身で、青い鎧を身につけています。
いかがでしたか? 見どころ満載のスポットなので、伊賀上野にお越しの際はぜひ、立ち寄ってみてくださいね!
協力・資料提供:公益財団法人 伊賀文化産業協会